6.望遠鏡の製作
ガリレオ天文学のはじまり
新星の出現
1604年に出現した超新星の残骸。天文学者ケプラーの記録に詳しいことから「ケプラーの新星」と呼ばれる。超新星は、大質量星が寿命の最終段階で大爆発を起こす現象である。(画像提供:NASA/ESA/R.Sankrit and W.Blair-Johns Hopkins University) 1604年の秋、新星がへびつかい座に出現した。新星といっても、これは現在「超新星」と呼ばれているものだが、この現象は当時にあって大事件だった。アリストテレスの世界観では月よりも上の世界は不変だから、「星が新しくできる」ことなどありえないからだ。よって、この「新星」が月よりも上の宇宙での現象なのか、あるいは月よりも下の気象的な現象なのかが、問題となった。ガリレオはこの新星を月よりも上の世界のものだと公開講義で主張した。まずそれを証明するために、地上の二地点からの「視差」を測定した。もし月よりも下に新星があるのなら、見る場所によって新星が見える方向が微妙に異なってくるはずである。そして、ガリレオの主張どおり、その「視差」がないことがあきらかになった。
宇宙への助走
さらにガリレオはこの新星を地動説の証明に利用しようとする。地上の二地点からの観測では視差が見られないにしても、地球が動いているなら、公転軌道上の二地点から観測すれば視差が見つかるはずである。しかし、数か月の観測によってもその視差は得られなかった。これは当時の技術、しかも肉眼での観測では、仕方のないことなのであるが(かつ、この超新星は現代の観測精度でも視差測定は不可能なほど遠い)、この時からガリレオはしばらくの間、望遠鏡の観測によって確信を得るまで、地動説への信頼を失っていたようだ。いずれにしろ、この新星はアリストテレス的世界観を揺るがせたのは確かであり、ガリレオの闘争もここから始まるのだった。
望遠鏡発明論争
まず、誰が望遠鏡を発明したのか、という点で、ガリレオはその当時から非難を受けていた。ガリレオは「光学に基づいて」とか「屈折理論に基づいて」望遠鏡を作ったと自分の著作のなかで主張しているが、この時代はまだ屈折法則が知られていないから、このガリレオの表現は、経験的な知識にもとにしたことを装飾していただけなのであろう。むしろ、ガリレオが非難されたのは、望遠鏡をあたかも自分の発明であるかのように偽ったと思われた点にある。事実、『星界の報告』のタイトルページには、「フェレンツェ貴族にしてパドヴァ大学数学者ガリレオ・ガリレイによって、彼が最近発明した筒眼鏡(望遠鏡のこと)を用いて観測された事柄……」とあり、この記述によって、ガリレオは敵対者から「嘘をついて政府をだましている」と非難されたのである。それも仕方のないことではあるが、けれども、当時のヨーロッパにあってガリレオが製作した望遠鏡よりも性能の高いものはなかったのであるから、ガリレオが誰の助けも借りずに望遠鏡を作ったことを誇りとしていても、それはそれで正当なことだとも言えよう。









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